スマートフォン、さらにはタブレット端末の登場により、ビジネス環境は大きく、急速に変化している。携帯電話でもネット検索や動画・画像の閲覧ができたとはいえ、あの小さな画面でできることには限界があった。
しかし、タブレット端末はもちろん、スマートフォンも、もはや通信機器ではなく、超小型のパソコンだ。ワードやエクセルなどのファイルを見たり修正したりして、ちょっとした空き時間で仕事をすませることができる。(スマホの画面ではやや厳しいかもしれないが...)
もちろん、ゼロベースでプレゼン資料を作りこむなどといったクリエイティブな作業はパソコンでなければ難しく、タブレット端末がパソコンを駆逐してしまうということはないだろうが、今までパソコンを持ち歩いていたビジネスパーソンの手にするものが、タブレット端末に入れ替わるのは時間の問題だろう。
私のようなリサーチャーにとっても、画像や文書ファイルもストレスなく参照できるタブレットはありがたい。どこにいても、ネットワークにつながりさえすれば、新聞・雑誌記事でも、政府機関のレポートでも、あらゆる情報を集めることができるのだから。
情報調査力のプロフェッショナル
―ビジネスの質を高める「調べる力」
一方、この「どこにいても情報が手に入る」という状況が、危険性をはらんでいるとも感じている。
スマホやタブレットで容易にネット上の情報を検索して入手することができ、さらには自ら検索などしなくてもSNSでひと言質問を投げかければ様々な答えが返ってくる時代。情報は「集める」ものではなく、集まってくるもの、待っていれば向うからやってくるもの、という感覚になっている人も多いのではなかろうか、と。
さらに、"ビッグデータ"の時代となり大量の情報をいかに「分析」して「活用」するか、に注目が集まっている。確かに、これだけ生み出されるデータ量が増えてくると、それをどう分析して活用するかが問われるようになるのは当然だ。
しかし本来、情報というのは、問題解決や意思決定のために用いるもの、ある目的のもとに、自分の意思で「集める」ものではなかっただろうか。情報をどう活用するか、だけではなく、そもそも情報が何のために必要なのか、その情報を使って何をしたいのか、ということもきちんと考えていかないと真の「活用」はできない。
そんな思いから、敢えて情報の「収集」という点に注目してみたい。
「過情報」の整理学
-見極める力を鍛える (中公選書)
それを使わない・耳にしない日がないくらい、日常的となっている「情報」という言葉。そもそもどこから来たのか、元々どういう意味を持っていたのかということをご存じだろうか?
最初に「じょうほう」という言葉が使われたのは、明治時代にフランスの軍事教本が翻訳された際に、フランス語のrenseignement(人や物を知る上で助けになる資料や調べ、の意)の訳語で、敵の"情状の知らせ、ないしは様子"の意味があてられた。
その際の漢字は「情報」であったが、すぐに「状報」も併せて使われるようになり、明治期の兵書には「情報」と「状報」が、混在していた。
それぞれの漢字の意味するところから考えると、情は流動的なもの、状はそれが固定したさまと解釈することができ、地形などの状況については「情報」より「状報」が適しているのであるが、両者の明確な使い分けは実のところ行われていなかったそうである。
このようにして世に登場した「じょうほう―情報」は、戦時中までは主に軍事関連の言葉として使われていた。
第二次世界大戦後に、情報を数学的に論じるInformation Theory(情報理論)が日本に導入されると、英語のInformationの訳語として「情報」があてられ、次第に、情報理論、情報科学、情報処理などといった学術的用語として使われるようになり、さらに1960年代以降は、社会学や経済学の分野でも使われるようになり...現代に至っている。(以上、情報の語源と変遷に関しては、神戸大学名誉教授小野厚夫氏の研究による)
こうやって「情報」という言葉の成り立ちを振り返ってみると、それがあるかないか、正確かどうかで戦いの結果が左右される=自分たちの生死にかかわる、ものだったということが分かる。
これを現代の企業経営におきかえて考えてみると、「情報」の有無、その正確性、それをうまく入手できるかどうかは、企業や人間の存続に関わる、というと、飛躍しすぎだろうか。
私がいたマッキンゼーなどの経営コンサルティング会社においては、「情報」はすべての業務のベースになるものとして重要視されている。
コンサルタントというと、ちょっと頭が良くて弁の立つエラそうなやつがあることないことを言っている...、というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれないが、そのイメージとは異なり、地道に情報を集め、読み込み、分析している。その情報量は並大抵のものではない。
マッキンゼーのコンサルティングの基本中の基本は、単なる思いつきや個人的な思い込みではなく、客観的な情報を多面的に集め分析していくことで、本質的な問題に迫り、問題の解決策を探っていく「ファクトベースアナリシス」。
その情報分析の際に、様々なフレームワークや手法、独自のツールが用いられ、それがコンサルティング会社としての拠り所のひとつとなっている。
ただ、いくらベースとなるのは情報だと言っても、自分だけ、その会社だけしか見られない・手に入れることのできない情報というものはほとんどない。情報へのアクセスという意味では、コンサルティング会社だから特別なルートがあって、他の人が知らない情報が手に入るというものではない。
差別化できるのは、情報収集の効率や取捨選択能力という部分ということになる。したがって、一般的にコンサルティング会社の情報「分析」は注目されるが、残念ながら「情報収集力」にスポットがあたることはほとんどない。
しかし、優れたコンサルティング会社には敏腕リサーチャーがいたり、驚くほどの情報収集力を併せ持ったコンサルタントがいたりもする。ビジネス界を見渡した時、コンサルティング業界はもっとも情報収集力ということに敏感な業界のひとつであることには間違いはない。
情報の収集力といっても、これだけ電子化が進み、キーワードひとつ入力するだけであらゆる情報にアクセスできる世の中では、情報を集める力、探し出す力、という意味にはならない。
今さら検索エンジンを使いこなす技術が論じられることはなく(検索エンジンの使い方次第で効率をあげることも可能ではあるが)、たくさん出てきてしまう情報から何をどうやって選べばよいのかという、情報の取捨選択能力を考えるのが一般的だろう。
私も昨今は「どうやって情報を選んでいますか?」と訊かれることが多い。ここでまず重要なのは、取捨選択=集めたもの・集まってきたものを「捌く」、のではないという認識だ。情報は取捨選択しながら集めるもの、考えながら集めるものなのである。
何かを調べようとしたとき、なんらかの情報が必要になったとき、私たちは知らず知らずのうちに一連の作業をこなしており、私はこれを『調べるサイクル』と呼んでいる。
こんな七面倒くさいことをいちいち考えていられないよ...とおっしゃる方もあろう。確かに、今サイクルのどこにあたるかを考え、チェックリストを作って...など、私もほとんどやったことはない。
しかし、どんな人でも何らかの情報を入手しよう・何かを調べようとするときには頭の中でこのようなサイクルをまわしているものだ。そして、ビジネスパーソンにとっては、このサイクルを意識しているか、繰り返し回せているかどうかが、その人の情報力を大きく左右するものとなっている、と思う。
次回、この調べるサイクルをもう少し具体的に見たうえで、情報の「選択」、さらには「活用」のポイントについて述べてみたい。
津田塾大学卒業後、株式会社日本能率協会総合研究所マーケティング・データ・バンクにて顧客向け情報提供サービスに携わる。のち、マッキンゼー・アンド・カンパニーにてリサーチ業務の傍ら情報センターの整備、トレーニングなどを手掛ける。 2004年にリサーチ関連サービス、コンサルティングを手掛ける有限会社インフォナビを設立。 著書に『情報調査力のプロフェッショナル』(ダイヤモンド社)。