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トップインタビュー

 「トップインタビュー」は企業や大学、団体のリーダーにお会いし、グローバル化や第4次産業革命、DX(デジタルトランスフォーメーション)、ESG(環境・ソーシャル・ガバナンス)、働き方改革など、ビジネスパーソンや学生のみなさまが関心のあるテーマについて、うかがってまとめる特別コンテンツです。さまざまな現場で活躍するトップから、いまを読み解き、未来に向けて行動する視点やヒントを探って、お届けします。

2019年、新生「東急」船出へ  螺旋状に「SHIBUYA」は進化
東急 代表取締役会長 野本 弘文様Adobe PDF file icon

聞き手 日経メディアマーケティング社長
  大村泰
野本弘文(のもと・ひろふみ)氏
野本弘文(のもと・ひろふみ)氏
 トップインタビュー第28回は2019年9月2日、社名を東京急行電鉄から「東急」へ変更し、10月1日、祖業の鉄道事業を分社化するなど、新たなグループ経営に乗り出した東急代表取締役会長の野本弘文様です。長く住宅開発やメディア事業、街づくりなどに関わり、11年に社長に就任、たぐいまれなる発想力と構想力、発信力でグループの成長をけん引してきたリーダーです。世界的なブランド都市である本拠・渋谷(SHIBUYA)の再開発は11月に駅直上に建つ高層ビル「渋谷スクランブルスクエア第Ⅰ期(東棟)」の開業を控え、まさに佳境。新生「東急」が果たすべき「役割」と、そこからみつめる先にある、40年、50年先の街や暮らし、生活の未来について、語っていただきました。
プロフィル
野本弘文(のもと・ひろふみ)氏 1971年早稲田大学理工学部卒業後、東京急行電鉄に入社。2003年経営統括本部メディア事業室統括室長、07年取締役開発事業本部長、常務、専務などを経て、11年代表取締役社長、15年東急グループ代表、18年代表取締役会長に。現在、東京商工会議所副会頭、日本小売業協会会長を務める。1947年生まれ、福岡県出身

鉄道事業は分社化で専門性高める 駅長ら意気に感じ、高いモチベーション

--- 2019年9月2日、東京急行電鉄は東急へ社名を変更、10月1日鉄道事業を分社化し、新たなグループ経営をスタートさせます。

 社名を東急に変えることは(鉄道事業から不動産、流通、ホテルなど、さまざまな多角化に取り組んできた)五島昇氏(創業家二代目)の、ある意味、悲願だったのではないかと思っています。いまから50年近く前になりますが、会社が50周年を迎えたころから、五島昇氏は「脱車輪」という言葉を強調していました。鉄道に依存することをやめる、グループとして、「開発」や「流通」「健康産業」などの事業を拡大していくことを目標に掲げていました。
 いまも、そこから広がった事業をそれぞれ伸ばしていかなければいけないのですが、事業の質が異なるなか、ローテーションや担当割りに基づいて管理職や経営幹部がこれまで経験してきた事業とは違う領域の事業をみていくことに限界も感じられるようになりました。
 一方、2015年、グループ代表になったころから、鉄道事業はひとつの事業部門ではなく、本当の意味で特化した、しっかりとした会社にすべきではないかと思うようにもなりました。「安全」「安心」は当たり前で、「快適さ」が求められており、その質をさらに高めていく必要があるからです。特化しなければならない事業になっているにも関わらず、事業部門のままでは、専門人材が薄くなる恐れもあるのではないかと思案していました。
東急の連結業績
 東急グル―プは1918年、洗足、田園調布の街づくりのために渋沢栄一翁らが創業した田園都市株式会社に起源を持っています。東京急行電鉄は1922年、昇氏の父親、五島慶太氏が実質的なファウンダーとなり、同社から鉄道部門を独立させた目黒蒲田電鉄株式会社が前身となっています。2022年に100周年を迎えることになります。
 2019年は、田園都市株式会社設立以来の101年目にあたり、元号が変わる節目の年となりました。田園都市株式会社も目黒蒲田電鉄株式会社も、創業日は9月2日であり、今回の新たなグループ経営のスタートにもっともふさわしい日と考え、この日に新生「東急」としてスタートさせることにしました。
 ここ数カ月、鉄道事業に携わっている駅長や区長とはミーティングを続けています。彼らはモチベーションも下がらず、意気に感じ、誇りを持ってくれています。東急電鉄がお客様から日本のなかで一番といわれるような支持を受けるために、一緒にがんばってくれる、強い手応えを感じています。

「美しさ」追い求めるスローガンは変えず、めざす「調和ある社会」へ 新元号も後押し

--- 事業が多岐に渡るなか、新生「東急」としてグループがめざす方向をどのように考えていますか。

 グループがめざしているのは沿線を中心にお客様に安心して住んでいただく、働いていただく、楽しんでいただく、住みたい、働きたい、楽しみたいという、安心で快適、豊かな生活環境を提供することです。
 たとえば、東急ストアは新鮮で安全な食品や便利な日用品をリーズナブルな価格でお客様にお届けすることで、食の立場から、その役割を果たしています。私が社長になったころ、東急ストアは一時、厳しい時代を迎えていましたが、リーダーとして、社員全員とその役割を共有化することで、安心して事業に取り組んでもらい、収益を伸ばすことができています。豊かな生活環境を提供する目的に向かい、それぞれの役割を自分ごととして、自らの最大の目的としてやるということが大事だと思っています。
 ビジョンの共有化がなにより大切です。東急グループは1972年、スローガンとして「豊かさを追求する」ことを掲げました。当時は高度成長期であり、日本が豊かになっていこうという時代でした。鉄道から住宅や百貨店、ストア、ショッピングセンター、ホテル、レジャーなど多岐に渡るグループとなっていく時代です。そして、「一億総中流」といわれ、バブル経済が本格化する直前にはキーワードを「豊かさを深める」に変えてきました。バブル崩壊後、自然や環境保全、健康維持、社会貢献などが課題となるなか、次の時代に向けた「道しるべ」として「美しさ」を価値基準に選んで、97年に現在のスローガンである「美しい時代へ―東急グループ」としました。
野本弘文(のもと・ひろふみ)氏

グループスローガン

美しい時代へー東急グループ
「美しさ」それは東急グループの、次の時代に向けた道しるべであり、価値基準です。
我々が求める「美しさ」とは、人、社会、自然が調和した中で、国を超え世代を超え、一人ひとりの心に深い感動を呼び起こすありようのことです。
東急グループは、洗練され、質が高く、健康的で、人の心を打つ「美しい生活環境の創造」を自らの事業目的とし、その実現に全力で取り組みます。
そして優しさと思いやりにあふれた「調和ある社会」の中で、一人ひとりが自分らしく生き、幸せを実感できるよう、お役に立ちたいと考えます。
「美しい時代へ」には、我々東急グループが、自ら美しくあり続ける覚悟と、美しい生活環境を創る先駆者になる決意が込められています。
 2022年の100周年を迎えるにあたり、このスローガンを変えることもやぶさかでないと思っていましたが、いまではこのスローガンを超えるようなものはできないと考えるようになっています。
 グローバルではSDGs(国連の持続可能な開発目標)が提唱され、企業活動でもESG(環境・社会貢献・統治)経営、サスティナブル(持続可能性)経営が重要とされる時代となりました。そして、元号が「令和」となりました。令和は英語でBeautiful Harmony(美しい調和)です。東急のスローガンの前提にあるのが「調和ある社会」です。新しい元号には後から応援していただいているような気持ちがしています。スローガンにあらためて誇りを持っていいのではないでしょうか。
 会社の目的は必要なことを事業化し、継続することです。従業員にも豊かになってもらえるような会社でなければなりません。より良いモノ、サービスをリーズナブルな価格で提供し、そのためには付加価値を付けて、社会に貢献、還元する。常に、新しいことに挑戦し、減価償却以上のものを生み出しながら、進化していくことが大切と考えています。

街づくりのキーワードはオープン メディア事業で学んだ、上のレイヤーから見る全体観

--- 東急線沿線には渋谷や二子玉川、たまプラーザなど、多くの魅力的な街があります。街づくり、都市開発をどのように進めてきたのでしょうか。

 街づくりで大切なのはその街がどうあるべきか、そのイメージをつくることではないでしょうか。そして、その実現に向け、常に、さまざまな意見や立場に対して、開いていること、オープンであることをキーワードとして、心がけてきたように思います。
 私は土木屋として東京急行電鉄に入社しましたが、すぐに神奈川県厚木市で都市開発の担当となり、14年間、取り組んできました。43ヘクタールの土地を活用し、厚木の街がどうあるべきか、つくりながら、住民の方々や行政など、いろいろな人たちの意見を聞いて、街づくりを学んできました。
 その後、ケーブルテレビやインターネット関連のメディア事業を16年間担当し、この時期に、世の中全体を上のレイヤーから見ることを勉強することができたと考えています。ひとつひとつの事象をとらえ、ヒエラルキーに沿って下から上げていくのでは、まとめるのに何カ月もかかってしまいます。時代の流れや世の中の動きを上からとらえて、最初にどうあるべきかを議論し、まず、イメージをつくることができれば、できばえやスピードが違ってくることを経験しました。
東急グループの開発プロジェクト
 たとえば、2015年に全体開業した二子玉川(世田谷区)の再開発では当初、都心部から離れた郊外ですから、オフィスは難しいと考えられていました。それまで通り、ショッピングセンターや住宅のみであれば、誰がやってもそこそこは成功したでしょう。
 しかし、それが時代の求めるものであったとは思えませんでした。
 当時はインターネットが急速に普及し、ネット通販やEC(電子商取引)、SNS(交流サイト)が拡大し、デジタル化が進展する時代でした。昭和は情報を集めることが強みとなっていましたが、情報が容易に集まる平成、デジタル時代にはむしろ、情報をどうつくり、どう発信するか、その仕組みが重要になっていると考えました。
 そこで、まず、デジタルコンテンツの殿堂をつくりたい、二子玉川からデジタル情報を発信する仕組みをつくることで、これまでにない街づくりができるのではないかと考えました。それがシネマコンプレックス(複合映画館)やデジタルコンテンツを発信するスタジオ、展示会場、多目的ホールなどの誘致でした。
 そして、願ったのは「二子玉川を日本で一番、働きたい街にする」ということです。生活者や消費者がすぐ身近にいる場所で働く、つまり、目の前にユーザーやお客様がたくさんいることで、よりクリエイティブなモノやサービスができるのではないかという提案です。共感をいただいた楽天さんが本社を移転してくれたこともあり、二子玉川はオープンでクリエイティブな発想と情報発信の街ともなったのではないかと思います。
 

ビルの中を人が通り、生まれる回遊性 開発プロジェクト、40年先、50年先まで続く

--- 本拠・渋谷の再開発でもそのオープンな発想、ベンチャー精神が生かされていると聞いています。

 11月に渋谷駅直上に開業する渋谷スクランブルスクエア第Ⅰ期(東棟)は、文字通り「スクランブル」に人々が混じりあえるよう、オープン、周辺に開かれています。人の流れを生み出すように設計、ビルの中を人が通り、楽しいから、その先にも足を延ばそうという気持ちを起こさせてくれることを期待しています。駅や駅ビルはターミナルや目的地としてだけ機能するのではなく、周りをつなげるためのスペースです。ビルのなかだけではなく、周りも含めて回遊性を高める役割を担うことが理想の姿だと思います。
 二子玉川の開発でも当初、近くの商店街からは懸念する声もありましたが、商店街につながる導線を作ったことで、むしろ、人の流れが増え、いまでは喜ばれています。
 「渋谷スクランブルスクエア第Ⅰ期(東棟)」の開業により、地下5階にある東急東横線・東京メトロ副都心線のホームから地上47階に向かって、人の流れに「縦(タテ)の渦(うず)巻き」が生まれます。それが渋谷ヒカリエや渋谷ストリームなどすでに完成しているスポットや、今後、予定されている駅周辺の再開発プロジェクトが生みだす「横(ヨコ)の渦巻き」と合わさることで、渋谷の街全体が螺旋状に進化していくことを期待しています。
渋谷駅周辺開発全体図
 東急グループは渋谷から電車で10分の新宿・歌舞伎町でも映画館や劇場、ライブホール、ホテルなどを集積した「新宿TOKYU MILANO再開発計画」をてがけています。渋谷での街づくりと同様に、人が動く、魅力ある街を創り、変えていきます。
 渋谷駅周辺、東急沿線も含めて、こうしたプロジェクトは40年、50年先まで、まだまだたくさん控えており、これからを担う後輩たちには夢や目的に向かって、強い意志を持って取り組んでいってもらいたいと考えています。

すべて自分のこととする「当事者意識」が重要、受け継ぎたい創業家のベンチャー・共創精神

--- ご自身がメディア事業という新しい事業開拓を担当されていたこともあり、社内外で新規事業の立ち上げ支援にも力を入れています。

 メディア事業を担当した16年間で3つ会社を創りました。力不足もあり、うまくいったことばかりではありませんが、日本デジタル配信というケーブルテレビ局向けデジタル番組配信会社は日本で高いシェアを持っています。私はメディア事業を通じて、いろいろなことを学んできたし、若い人にも新しいことにチャレンジしてもらいたいと思っています。
 会社の中にいても、事業化に挑戦できる「社内起業家育成制度」を設けています。どんな事業でも事業化には10年かかりますから大変です。たとえうまくいかなくても、(会社の)身分はそのままというかたちです。いま、4つのプロジェクトが動いています。こうした内から生まれる試みと、スタートアップ企業と東急グループの事業共創を目的とした「東急アクセラレートプログラム」が組み合わさることで、それぞれの強みをいかすことができると思っています。1つ、2つと、成功事例がでてくればいいですね。「ビットバレー」とも呼ばれる渋谷をはじめ、東急沿線のオフィスにはITやインターネット関連を中心としたベンチャー企業の集約も進んでおり、いい刺激を受けることができます。
 若い人にはサラリーマンではなく、ビジネスマンになってもらいたい。すべて自分のこととしてやる、自分の仕事としてやる当事者意識、そのマインドが必要です。言われたことだけをやるのではなく、挑戦する意欲を持ってほしいですね。五島慶太氏やそれを引き継いだ五島昇氏のベンチャー・共創精神を受け継いでいきたい。最近では若手社員の雰囲気も変わってきていると感じています。

ビジョン創造、正しい判断、リスク対応力―リーダーに必要な3つの資質 常に勉強し、想像力鍛える

--- リーダーの条件をどのようにお考えですか。

 いろいろな資質が必要でしょうが、7年間、社長を務めたうえで、トップを担うリーダーを選ぶ際に考えたのは3つの資質であろうかと思っています。
 1つめは何をやりたいか、ビジョンと目的をきっちりと明確に掲げることができ、それを共感させることができるということです。強い想いを示すことができないと、下には伝わらないし、伝わりにくいと思います。
 2つめは正しい判断をし、決断し、それを実行することです。正しい判断をするためには日ごろから勉強しなければならないし、人の意見を聞くことが大切です。いくつかの意見のなかでどれがいいかを判断するためには、自らで基準値を持って、正しい判断を素直にし、決めたら、それをやろうとすることです。
 そして、3つめはリスクに対する対応力です。M&A、新規事業などに挑戦すれば、失敗もあるでしょう。ただ、何をするにしても、他人ごとにせず、自分の責任として、ものごとに当たる必要があります。リーダーとして、部下に命ずる仕事を目的としないでもらいたい。事件や事故などが起こらないようにすることは大切ですし、万一、起こった場合に機敏に対応する。事前・事後の対応のために訓練やシミュレーションを怠らず、常に意識しておく、その想像力を鍛える必要があります。
 コミュニケーションも大事です。会長になって以来、月1回は常務以上の役員8人で車座になって、話し合う機会を続けています。日ごろ、起きていること、困ったこと、やろうということ、おもしろいと感じたことなどを、雑談ではないけれど、気軽にいろいろな話をするようにしています。

時代劇、録画でまとめて“ひとり観賞” お気に入りは鬼平・越前・黄門さま 池井戸シリーズも

--- 最近、はまっていること、趣味やストレス解消法はなんですか。

 趣味というわけではないのですが、時代劇を録画して、時間があるときに、一人でまとめて観ることが好きですね。「水戸黄門」とか、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、それと「大岡越前」なんかもいいですね。池波さんの原作には人情があって、こまやかな機微が感じられて、リフレッシュできます。あまり、頭を使うことがなくて済むし、録画ですから、何度も繰り返したり、巻き戻したりすることができます。ケーブルテレビなどでは一日にまとめて放映することがあるから、それを録画しておくと、非常に便利ですよ。同じ番組を3回くらい観ることもあります。
 時代劇ではありませんけど、池井戸潤さんの書籍を原作とした「下町ロケット」や「ルーズヴェルト・ゲーム」もおもしろかったですね。「下町ロケット」は(副会頭を務める)東京商工会議所のメンバーの間で話題になっており、最近、遅ればせながら観て、追いついたところです。最近、本は積ん読(つんどく)、ゴルフはまあ、人並みですね。
(右)野本弘文(のもと・ひろふみ)氏<br />
(左)大村泰
(右)野本弘文(のもと・ひろふみ)氏
(左)大村泰
(掲載日 2019年9月2日)

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