ヒトは7年で飽きる
時代に、これだけの振れ幅があるなら、それは、どんな周期で、いったりきたりしているのだろうか。その糸口となるのが、「7」という数である。
ものごとを認知するとき、脳がとっさに使う超短期記憶の収納場所がある。レジスタと呼ばれるその場所は、脳が受け止めた情報を一時的に保持して、その全体性をはかるために使われる。実は、そのレジスタの数が7つである脳が、人類の多くを占めるのである。
たとえて言うならば、脳には「全体」を顕わすテーブルがあり、そのテーブルには座席が7つあるのである。この座席数より少ない情報数ならば、ヒトはとっさに取りこぼしなく把握できる。さらに、7つの座席が埋まれば、人は、すべてが取り揃った感じがして安心する。
ラッキーセブンに七福神…幸福は、洋の東西を問わず、7つの座席をいっぱいにしてやってくる。冒険者は七つの海を越え、七色の虹を見る。歌姫は、7つの音階(一オクターブ)で歌を歌う。
この7つのレジスタに、「時間幅のある情報」が並べば、ヒトは「一巡した」と感じる。私が一時期、実験に参加させていただいていた東京医科歯科大学の角田忠信先生の研究成果によれば、ヒトの脳は地球の自転と公転を感知している可能性が高い。となれば、脳の中に「7日周期」と「7年周期」があってもおかしくないと、私は考えた。
7日周期と言えば、「一週間」は世界中に定着していて、その根強さもまた格別だ。フランス革命の後、政府は5日で暮らす革命暦を導入したそうだが、長くはもたなかったという。ロシアでも、10日で暮らすソ連革命暦が導入されたが、やはり定着しなかった。
世界中が7日で暮らしているのは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の教えによるからなのだが、この3宗教は同じ古代宗教に端を発しているので、揃っているのは不思議じゃない。けれど、仏教までが、初七日、二七日…と7日を数え、四十九日で故人をあきらめていく。神や仏が導く「7日」は、私たちの神経系の中にある「7日」なのだろう。
では、「7年周期」とは何なのか。
私は、ふと思いついて、離婚経験者に「離婚したのは、一緒に暮らし始めて何年目?」というアンケートを取ってみた。7年目、14年目、21年目という7年の倍数の年に、明らかに偏っているのである。
転職経験者への「転職したのは、前職についてから何年め?」というアンケートでは、さらにその傾向が強かった。私自身、最初の会社を辞めたのは、14年目だった。
ヒトは、どうも、何かを始めてから7年目に、「一巡した」という、ある種の完遂感が降りてくるようなのだ。「一巡した。ここから先は、この繰り返し」という気の遠くなるような何かだ。
つまり、飽きるのである。