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情報活用Tips Column

「国際化」の時代から「グローバル人材」育成に向けて 最終回

「日本語力」あってこその「英語力」  読み書き、すばやく、論理的に 大量訓練で鍛える

戦後74年、日本語教育推進法がようやく成立 議員立法で

 2019年6月、国会で日本語教育推進法が成立、公布された。1960年代以降、日本語教育関係者の間ではこうした法律が必要だ、という声が上がっていたが、教育政策をあずかる文部省ではほとんど問題にされないままだった。それが政府提案ではなく議員立法により、しかも自民党から共産党まで文字通りの超党派で、全会一致で成立するという戦後日本の政治史上でもかなり異例の法律となった。
 これには私も「ようやく実現した快挙」と喜んでいる。
日本
 振り返ってみれば、東京在住の主婦たちがつくった民間の公益法人、国際日本語普及協会(AJALT)が1982年に日本に駐在する外国人ビジネスマン向けの日本語教科書、“Japanese for Busy People”を出版した時、これは社会的に意味のあるニュースだ、と直感して、日経新聞社会面トップで取り上げたのが、私が日本語教育に強い関心を抱くきっかけだった。
 それまでも社会部記者として日本に在住する外国人学者やビジネスマン、大使館員、留学生らを取材する機会がかなりあり、彼らが「良い日本語教科書がない」とこぼしていたことを知っていたからだ。
 当時、東京・新宿の民家に下宿していた米国人のプリンストン大学院生、リービ英雄氏が「万葉集」の英訳を出版したと聞き、やはり日経社会面で大きく紹介した時には、彼に日本語の魅力を教えられて驚いた。指導した万葉集研究の第一人者、中西進先生によると、彼は日本語の美しさ、奥深さがわかるだけでなく、日本神話とギリシャ神話の比較研究などを踏まえて、清新な美しい英語に直しているという(同英訳書は82年に全米図書賞を受賞)。
 特に80年代以降、日本が経済大国となったころには、日本語を学びたいという動きが世界各地に広がっていた。その需要に応えながら、日本語を世界に普及させる方策を政府として積極的に推進すべきではないかと、私は考えていた。

重要性を認識されてこなかった「日本語教育」、伝えるべき日本語のすばらしさ

 そこで82~86年に文部省担当だった時、その方策を文部官僚たちに質すと、「文部省は日本国民に対する教育に責任を持つものであり、外国人のための教育は文部行政の埒外(らちがい)です」と局長以下課長・係長まで一様に、にべもなかった。初等中等教育では昔から「国語」はあっても「日本語」はない。政府内には「日本語」は法律用語としても担当部課名としても存在せず、「日本語教育」を扱うのは文部省外局の文化庁国語課だった(現在もそうだ)。つまり、日本語は戦後半世紀以上、文部行政からずっと重要性を認識されないまま、今日に至っていた。
 80年代後半、ロサンゼルス支局長だった時、日系移民の人たちから「最近の日本人の日本語がおかしくなっている。もっと日本語を大切にしてほしい」という声を何度か聞いた。カリフォルニア州内の大学では日本語を学びたいという学生が非常に増えていた。帰国後に調べてみると、90年代には世界115カ国で1万以上の学校で日本語を教えており、学習者も210万人以上いることがわかった。

 20世紀末には日本語教育学会の西原鈴子会長から「日本語が日本人だけのもの、という時代はもう終わり。21世紀は日本人が“本家”意識や“家元”意識を捨てて、日本語を国際的なコミュニケーション言語の一つととらえ直す意識改革が必要な時代です」と聞いて、深く共感していた。
 そこで2002年4月、編集委員のときに手掛けたのが日本経済新聞夕刊の連載「日本語教育の新世紀」だ。同時進行のドキュメンタリータッチで、全23回を一人で書いた。これは80年代以来、首都圏の日本語学校の経営者、日本語教師たちと親交を保ち、面白い話を聞くたびに日経社会面に掲載していたことを生かした。同時に90年代以降、法務省の外郭団体、入管協会に頼まれて、機関誌『国際人流』にほぼ毎月、国際交流に貢献している人のインタビュー記事を連載(2000年代半ばまで100人以上)していて、そこに日本語教育関係者を多く登場させた成果も踏まえている。
 当時、日本語学校に通う学生は「留学生」ではなく、法務省から「就学生」と名付けられ、出稼ぎ労働者並みに否定的に報道されることが多かった。そこで、この連載は関係者からは「大手マスコミが初めて日本語教育現場の実状を詳しく報じた」と評判になり、読者の反響も大きかった。その後、日本語学校が社会的にも好意的に認知され、入国管理局が「就学生」の呼称を「留学生」に改めるきっかけにもなったと思う。

日本語は今や国際語 外国に教師が7万人以上、学習者は385万人

 国際交流基金が先月発表した2018年度調査結果によると、今日では世界142カ国で1万8千以上の日本語教育機関があり、教師の数は7万人以上、学習者は385万人に達している。日本語が「国際語」として相当通用していることを物語っている。
 一方、日本国内では昨年末に外国人登録者数が273万人を超え、そのほとんどが日本語を学んでいるわけだが、就学年齢の子ども12万4千人のうち2万人以上が学校に通っていないことが文科省の最近の調査でもわかっている。こうした在留外国人への日本語教育は事実上、地域のボランティア頼みであり、特に子どもたちへの日本語教育も市町村任せで、きちんと教育できていないことが大きな社会問題になりつつある。
 そうしたなかで、今回の議員立法で「日本語」が法律用語なり、文科省を中心に各省庁で「日本語教育」推進のための具体的な政策、財政措置がとられることになった。これをきっかけに国内、海外の日本語教育の充実を期待したい。文化勲章受章者の有馬朗人・元文科相(東大総長)が現在、日本の俳句をユネスコの文化遺産に登録する運動を精力的に続けているが、日本語のすばらしさをもっと世界に訴える意義を私たち日本人はもっと真剣に考えるべきではないだろうか。

グローバル人材、英語は必要条件でも十分条件でもない

 今、文科省の音頭で小学校から大学まで「英語が使える日本人」を育てようと大合唱を続けているが、私自身は「英語力より、まず日本語力を鍛えよ」と強調している。政府も経済界も「英語で交渉できるグローバル人材を」を提唱しているが、私の長い取材経験からすると、「グローバル化社会で活躍できる人材に英語は必要条件でも十分条件でもない」としか思えない。現実に国際的に活躍している「グローバル人材」にふさわしい日本人の大半は「英語はできるに越したことはないけれど、できなくても何とかなる」「英語はまあまあ、中学3年レベルで十分」という人がほとんどだ。

 私は2004年から12年間、国際教養大学で毎週6コマ、英語で授業したが、そこで痛感したのは、日本語力と英語力はかなり高い相関関係があり、きちんとした日本語の文章を書ける学生ほど英語力の伸びが速く、高くなることだった。同時に高校で数学・物理など理系の教科の成績が高い学生ほど英語の伸びが早いこともわかった。その理由は論理的な思考力、比較分析力と文章構成力、推理力が身についている学生ほど、日本文を書かせても英文を書かせても良い文章が書けるからだ。そのため、教養大では数学と物理を必修にしている。高校時代に理数系が苦手で英語だけが得意、という学生は概して入学後、英文レポートの作成に苦労し、単位取得に足踏みしていた。
 過去10年ほど、全国各地の大学新入生の学力調査によると、英語力が中学生レベルしかない学生が4割、日本語力が中学生以下の学生も3割いて、その学生たちはほぼ重なっている。そして大学・短大で英語教育に力を入れても、英語力がいつまでも伸びない学生は基礎となる日本語力が低いままであり、日本語力が高い学生は鍛えれば英語力も伸びることがわかってきた。つまり日本人は日本語力あってこその英語力、であり、英語力を本当に付けたければ、まず日本語力をしっかりと付けることが何より重要ということなのだ。
 若者が新聞も本も読まなくなり、もっぱらスマホで短文のフレーズだけでやり取りすることに慣れれば慣れるほど、日本語で論理的にものを考え、表現する技術を身に付けなくなってしまっている。それが日本語力の低下を招き、同時に外国語の習得力の低下を招いているのではないか、と私は危惧している。

公用語化や会話教室、テスト「苦行以外の何物でもない」

 グローバル企業を自任する会社では社内の英語公用語化を進めて、社員を英会話教室に通わせ、管理職への登用に英検2級以上とか、TOEIC700点以上などを条件にしているという。だが、私はそんなことで「グローバル人材」が大量に育つとはとても思えないし、多くの社員にとっては苦行以外の何物でもないのではないかと思っている。
 外国語の習得はひたすら「慣れ」の問題であり、頭の良し悪しは関係ない。毎日の生活や仕事で否応なく使っていれば、3カ月もすれば最低限必要な会話はできるようになるし、毎日数時間は使う環境にいなければすぐに忘れてしまうものだ。それはザルに水を入れるのに似ていて、毎日、入れ続けなければ、すぐになくなってしまうものだ。職場がほとんど日本人だけなら、英語などまず必要としないだろうし、英会話の力などつくわけがない。その英会話も「発音がいい→英語ができる→頭がいい」と思うのは大きな誤解であり、発音の良し悪しと英語ができる・できないは関係ないし、頭の良し悪しはもっと関係ない。
 多くの日本人にとって、仕事で必要な英語力とは、日常会話よりも英文メールや手紙、報告書・英文資料をすばやく読み、すばやく書くことであり、そうした読み書きは意識して訓練しなければ、決して身に付かない。身に付けるには毎日、大量に読み、書くしかない。その速読と速書(早書き)は日本文でそういう速読・速書をし慣れているかどうかで決定的に差が出る。やはり、ここでも、まず日本語力を優先して身に付けよ、というしかない。
 「私は英語が苦手で、英語でうまく説明できない」という人に「では、日本語で言ってください」というと、ほとんどの人がしどろもどろになる。つまり、日本語でも言えないし、書けない人が圧倒的に多いのだ。それは日本語で論理的に考え、説明する訓練をしていないからであり、日本人が日本語でできないことを英語でできるわけがないのだ。

以上、3回の連載でしたが、読者が少しでも参考になるヒントを得られることを期待しています。
(日経MM情報活用塾メールマガジン11月号 2019年11月27日 更新)
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勝又 美智雄 Michio Katsumata
国際教養大学名誉教授
グローバル人材育成教育学会会長
元日本経済新聞編集委員

1947年、大分県生まれ。東京外国語大学英米語科卒。元日本経済新聞編集委員。日経社会面の長期連載「サラリーマン」取材班で84年に菊池寛賞を受賞。87-90年にロサンゼルス支局長。日経文化面「私の履歴書」で91年にJ・W・フルブライト米上院議員、2001年にジャック・ウェルチ米GE会長、02年にL・ガースナー米IBM会長の聞き書きを担当した。81年に米スタンフォード大学からジャーナリズム研究員に招かれる。95年から03年まで東京外国語大学非常勤講師(国際関係論)。2002年、秋田県に全国初の公立大学法人・国際教養大学(AIU)の設立準備の段階から中嶋嶺雄初代学長を補佐して「日本に前例のない理想的な大学づくり」に関わり、04年春の開学と同時に教授兼図書館長に就任。北米研究、日米関係論、ジャーナリズム論などを英語で教え「理想的な図書館づくり」に取り組んだ。16年春、定年退職で名誉教授となる。公職として財団法人日本語教育振興協会評議員、公益社団法人国際日本語普及協会(AJALT)理事など。13年秋に発足した「グローバル人材育成教育学会」の設立以来4年間副会長を務め、18年秋から会長。

主な著訳書に『J・W・フルブライト:権力の驕りに抗して』(日本経済新聞社、1991)、N・バラン著『情報スーパーハイウエーの衝撃』(訳、同、94)、『日本語教育振興協会20年の歩み』(同会、2010)、『国際教養大学10周年記念誌』(同大、14)、『中嶋嶺雄著作選集』全8巻(責任編集、桜美林大学、15~16)、『最強の英語学習法』(IBC出版、17)、『グローバル人材・その育成と教育革命――日本の大学を変えた中嶋嶺雄の理念と情熱』(責任編集、アジア・ユーラシア総合研究所、18)、『グローバル人材育成教育の挑戦』(共著、IBC出版、18)。