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情報活用Tips Column

「国際化」の時代から「グローバル人材」育成に向けて 第2回

出会いのなかで実感した「グローバル人材」7つの条件

「国際化」が挫折、日本は「内向き」「ガラパゴス化」へ暗転

 1970年代から90年代初めまで、日本のキーワードは「国際化」だった。日本の輸出産業が世界を席巻し、その先兵となって活躍する海外駐在員たちが「国際人」ともてはやされた。日本は世界第2位の「経済大国」にのし上がり、その原動力となった改良・改善による高品質商品の大量生産方式、年功序列の終身雇用制、労使協調路線を柱とする「日本的経営」が世界の模範とされた。E・ヴォ―ゲルの“Japan as Number 1”(1979)が欧米でも日本でもベストセラーとなり、日本のビジネスマンたちが自信と誇りを持っていた時代だった。
 私が81年に米スタンフォード大学のジャーナリズム研究員に招かれて7カ月いた時には、同大のビジネススクールには企業や官公庁派遣のエリート候補生たちが張り切ってMBA(経営学修士号)取得をめざしていた。87年から3年半、ロサンゼルス支局長だった時は地元紙や経済誌が「日本企業がロスの高層ビルの半分近くを取得した」「カリフォルニアは日本の属州になるのでは」などと盛んに書き立てていた。私も頻繁に各地の大学や経済団体、市民団体に呼ばれて「日本の成功の秘密」から「日本の女性の社会的地位」「日米の政治・文化・教育比較」など様々なテーマで講演し、パネル討論に参加した。まさに日本経済の絶頂期であり、日本人駐在員たちは、日本から出張してくる仲間たちに「アメリカ恐れるべからず」と得々と説いていたものだった。
 ところが90年代、バブル経済がはじけてからの日本の失速はすさまじかった。日本の護送船団方式を主導してきた銀行・証券会社の経営が軒並み悪化し、倒産や買収・合併で統合された。80年代に大手企業の多くが「国際化」の波に乗って米国の高層ビルやホテル、リゾート施設を次々に買収していたが、そうした海外不動産への投資が巨額の不良債権となって、その処理に苦しみ続け、海外事業の整理・縮小・撤退が相次いだ。
 「日本的経営」の負の側面が露わになった。端的には「根回し」を中心にした「和の経営」体質がネックになって「選択と集中」による事業再編や即断即決のスピード経営ができないことが深刻な問題になってきた。90年代以降、世界を席巻してきた「グローバル化」に対応できないまま「内向き」になり「ガラパゴス化」しつつ、今日に至っている。

国内へ伝える「受信型」から行動する「発信型」へ

 そもそも1990年代からにわかに「グローバル時代」という言葉が使われるようになったのは、次の3要素が主な背景になっている。
 
●インターネットをはじめとする情報通信技術革命によってヒト・モノ・カネ・情報が国家の垣根を簡単に超えて(フラット化する世界・ボーダーレス社会)高速で移動し、交流することが可能になったこと。
●途上国の飢餓・食糧問題に人口爆発、民族間対立、大気汚染・海洋汚染・地球温暖化など地球規模で人類全体が取り組むべき課題が大きくクローズアップされてきたこと。
●産軍複合体による核兵器など大量破壊兵器の軍拡競争を抑止し、大国間の覇権争いではなく、各国間・各地域組織間の緩い連携によって地域間、あるいは地球全体の安全保障を確保していく体制づくりが求められるようになってきたこと。
 

 ――80年代までの「国際人」は海外事情に通じて、それを国内に通報する「受信型」が中心だった。だが(1)~(3)に対応しながら日本が世界に向かって何に貢献できるかを考え、日本人としての誇りを持って発言し、行動する「発信型」の人材、つまり「グローバル人材」の育成・養成の必要性が日本の重要な政策課題として浮かび上がってきた。

英語力、語学力より「共感力」が必須の資質

 ではグローバル人材の条件=資質は何か。私は自分がこれまで出会い「この人こそグローバル人材だ」と思った人たち(盛田昭夫氏=ソニー創業者、明石康氏=元国際連合事務次長、村松増美氏=同時通訳者、小松達也氏=同時通訳者、サイマル・インターナショナル創設に参加)数十人に共通する資質を整理した結果、次の7つの条件を挙げる(詳しくは拙著『最強の英語学習法』(IBCパブリッシング、2017)を参照してほしい)。
「最強の英語学習法」勝又美智雄

「最強の英語学習法」勝又美智雄
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(1)異文化(異国籍)への好奇心を強く持ち、異文化摩擦・衝突を楽しむことができる
(2)自分の文化(家族・生まれ故郷・地域社会・国)をよく理解し、誇りに思う
(3)論理的思考・批判的判断力を養い、自分の考えを的確に表現し、主張できる
(4)他人(他人種・他民族・他文化)を蔑視しないで、共感できる想像力を持つ
(5)民主主義の理念(自由・平等・公正・寛容)を実行し、高い正義感と倫理感を持つ
(6)職業として選んだ仕事で常に「プロとして一流」「世界でトップ」を目指す
(7)既成事実に流されず、既得権益に安住せずに、常に「ゼロから」挑戦・創造する
 

 ――ここで注意してほしいのは「英語力」「語学力」が入っていないことだ。多くの「グローバル人材」論はせいぜい(1)~(3)までを想定し、それを発信する語学力=「異文化コミュニケーション力」として、特に、英語力の重要性を挙げている。
 だがよく考えればわかるはずだが、(1)~(7)は別に英語ができなくても十分身につけられる。そこで以下、普通の「グローバル人材」論では触れていない、(4)~(7)について、なぜ、それらが本来の「グローバル人材」の重要な条件=資質なのかを説明したい。

「世界でトップを目指す」意欲と情熱を 創造こそ未来を開く

 まず、なぜ(4)の「共感力」が重要かは、人類の歴史をたどってみれば明らかになる。
 それは自分の同族を中心に「文明と野蛮」「選良民族と劣等民族・人種」に分け、より優れた文明を持つ種族が伝統的な民族文化を守っている種族を駆逐し、奴隷化し、抹殺してもいいと考えることが実に20世紀まで堂々と行われてきたことに対する反省がある。第2次大戦後も軍拡競争は続き、1990年代の冷戦終結後も米中ロの覇権争いが今も進行中だ。軍事力によって他国を威圧して、“Let’s make America great again!”を唱える政治指導者が国民から拍手喝さいを浴びているのが現実なのだ。そういう「自国第一主義」=排他的な他民族蔑視に陥らないようにするためにこそ、「共感力」が必須の資質になる。
 その(1)~(4)を支えるのが(5)だ。つまり世界の生き残りをかけた課題に取り組むにあたって、世界のどの人たちに対しても、彼らの人権を守り、公平・公正・平等であるべきだという民主主義の理念を前提にすべきであり、それと同時に、不正、ごまかし、虚偽、汚職などは許すべきでない、と考える倫理観、正義感を兼ね備えなければならないことだ。こうした倫理観、正義感がなければ、実はどこの国の人からも結局は信用されないし、信頼もされはしないことを自覚すべきだろう。
 そして(6)と(7)はセットで、職業人としての生き方に深く関わる問題だ。つまり自分がどんな仕事をするにせよ、「誰にも負けない、一流の仕事をする」という誇り高い「プロ意識」を持たない人は、職場の周囲の人にも取引相手にも、同業他社の競争相手にも信用も信頼もされない。スポーツ、芸術の世界はもちろん、ビジネスでも科学技術面でも、「世界でトップを目指す」意欲・情熱がなければ何事も成し得ない。グローバルに活躍しようと思う人間には、まさにそういうプロ意識が必要不可欠だと私は考えている。
 そのためにこそ、(7)の挑戦する姿勢がきわめて重要になる。現状維持でいい、そこそこの地位にいればいいと思っている人は何も生み出さないし、改革もできない。現状を冷静に調べ、何が問題であり、どこに突破口があるかを探りながら果敢に挑戦し続けることによって、新しいものを創造することが今日、最も求められている資質なのだ。

国際教養大学の使命:Be a Global Leader!

 人類の遭遇している新しい「グローバル時代」には、それにふさわしい人間類型、つまり「グローバル時代」を果敢に乗り切り、方向性を示しながら実践していく優れたリーダー群が必要なのだ、ということを私自身、70年代から国際的に活躍する人たちを数多く取材するなかで痛感していた。
 そんな折、大学時代からの恩師、中嶋嶺雄・東京外語大学長から秋田に新しく創る大学の設立を手伝うように誘われ、引き受けることを即決した。21世紀の始まる2001年のことだ。新大学はこれまでの日本に存在しない、グローバル時代にふさわしいリーダーを育てるための「理想の大学」にしよう、という中嶋構想に賛同したからだった。
 秋田県が出資、公設民営型の公立大学法人第1号となった。2002年から丸2年かけて、設立準備委員会の委員となり、新大学の教育理念、カリキュラム編成、教職員の人事採用策、学生募集の方法などを詰めていった。私は04年春に日経を中途退職し、国際教養大学の開学と同時に教授兼図書館長となり、中嶋学長の補佐役を務めた。
国際教養大学のサイトへ移動します

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「秋田の奇跡」、学生のための教育を最優先 人間力を高める

 大学は全寮制で、すべての授業を英語で行い、学生には丸1年間の留学を義務付けた。世界中の提携大学との交換留学制度を設計して、学生の留学費用がまったくかからないようにした。定員は100人でスタートして、徐々に増やし、現在は175人。全校の在学生は900人と全国の大学の中でも小規模だが、「THE世界大学ランキング日本版2019年」では日本の約800ある大学のうち「教育充実度」と「国際性」ではともに全国1位、総合評価でも10位につけている。1~9位は施設面での充実度、教育体制、予算額などの高い評価ですべて東京大学、京都大学など国立大学が名を連ね、11位以下に国際基督教大学、広島大学、早稲田大学、慶應義塾大学、一橋大学、上智大学などが並んでいる。
 田舎の新設校がこれほど高い社会的評価を受けているのは前例がなく、「秋田の奇跡」と呼ばれてきた。それも中嶋構想によって大学運営の隅々まで、きわめて優れた制度設計がなされたからであり、教職員が「学生のための教育」を最優先し、学生たちもまたそれに応えて「グローバル人材」の候補生として巣立っていく体制ができているからだ。
 私はここで丸12年間、毎週6コマ、米国事情や日米関係論を英語で教えてきた。学生たちが留学から戻ってくると、すっかりたくましくなっていることに驚き、喜び、卒業論文ゼミの合宿などを通して、学生たちが英語力はもちろん、人間力がしっかりと高くなっていることが実感できた。今でもOB、OGたちが会いに来て近況報告してくれるのを聞くのが「教師冥利」だ。2016年に退職したが、グローバル人材育成教育学会の会長として、今も全国の支部や大学を訪ねて、人材育成について、一緒に議論するのが何より楽しい。
(日経MM情報活用塾メールマガジン10月号 2019年10月30日 更新)
次回は、「英語力と日本語力のバランスを ビジネスマンに必要な英語力とは」(予定)です。
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勝又 美智雄 Michio Katsumata
国際教養大学名誉教授
グローバル人材育成教育学会会長
元日本経済新聞編集委員

1947年、大分県生まれ。東京外国語大学英米語科卒。元日本経済新聞編集委員。日経社会面の長期連載「サラリーマン」取材班で84年に菊池寛賞を受賞。87-90年にロサンゼルス支局長。日経文化面「私の履歴書」で91年にJ・W・フルブライト米上院議員、2001年にジャック・ウェルチ米GE会長、02年にL・ガースナー米IBM会長の聞き書きを担当した。81年に米スタンフォード大学からジャーナリズム研究員に招かれる。95年から03年まで東京外国語大学非常勤講師(国際関係論)。2002年、秋田県に全国初の公立大学法人・国際教養大学(AIU)の設立準備の段階から中嶋嶺雄初代学長を補佐して「日本に前例のない理想的な大学づくり」に関わり、04年春の開学と同時に教授兼図書館長に就任。北米研究、日米関係論、ジャーナリズム論などを英語で教え「理想的な図書館づくり」に取り組んだ。16年春、定年退職で名誉教授となる。公職として財団法人日本語教育振興協会評議員、公益社団法人国際日本語普及協会(AJALT)理事など。13年秋に発足した「グローバル人材育成教育学会」の設立以来4年間副会長を務め、18年秋から会長。

主な著訳書に『J・W・フルブライト:権力の驕りに抗して』(日本経済新聞社、1991)、N・バラン著『情報スーパーハイウエーの衝撃』(訳、同、94)、『日本語教育振興協会20年の歩み』(同会、2010)、『国際教養大学10周年記念誌』(同大、14)、『中嶋嶺雄著作選集』全8巻(責任編集、桜美林大学、15~16)、『最強の英語学習法』(IBC出版、17)、『グローバル人材・その育成と教育革命――日本の大学を変えた中嶋嶺雄の理念と情熱』(責任編集、アジア・ユーラシア総合研究所、18)、『グローバル人材育成教育の挑戦』(共著、IBC出版、18)。